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大人と子どもの間の言葉の混乱

S,フェレンツィの1933年の論文「大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉」についての要約と解説を書いています。彼は当時の心的空想論が中心の精神分析の中で心的外傷を神経症の原因の中心に据え、それに伴って精神分析家の能動性や逆転移など技法論の改革を行いました。

フェレンツィの写真

図1 シャーンドル・フェレンツィの写真

1.大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)の要約

(1)患者側の精神分析家への同一化について

神経症における外傷要因を今まで以上に重視していくことが必要である。なぜなら、外的要因を深く考慮しないと、患者の素質や体質に安易に原因を求めることになるからである。精神分析作業を通じて個々の症状の改善がみられたとしても、それに代わって、患者たちは夜間の不安に苦しみ、激しい悪夢を見るようになっていった。

このことが毎回繰り返されるため、分析時間は外傷的事件の反復の時間となる。このような状況であっても自分を苦しめる精神分析家に怒りを表明する患者はほぼいない。フェレンツィは患者に遠慮せずに思っていることを述べるようにと伝えても、患者が精神分析家の要望を受け入れることは少ない。

フェレンツィはこのような患者の傾向について、精神分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対しての研ぎ澄まされた感覚を持っているのではと考えた。精神分析家に逆らうことや精神分析家の過失や失策を責める代わりに、患者は精神分析家と同一化をする。ヒステリー様の興奮を起こした時だけ、やっと精神分析家への反抗が現れるのである。

(2)精神分析家の姿勢について

そのため、我々は患者の中に押し込められている批判の気持ちに気づかなければならない。しかし、ここで精神分析家は自身の抵抗と向き合うことになる。患者の連想の中にある自らへの憎しみや軽蔑と向き合うために、精神分析家自身が徹底的に精神分析を受けておくことが必要である。

患者の精神分析に対して全力で向き合うという建前で我々は精神分析の時間に入っていくが、その際に精神分析家自身の仕事上の課題や個人的な事情に内心引っ掛かっていることもある。このような状況でも患者に尽くすことを誓うことは我々の職業的な偽善であり、患者に素直に精神分析家自身の心の中の障害を伝えるべきである。

このような告白はむしろ患者に安堵感をもたらし、たとえ外傷的ヒステリーに襲われても、ずっと和らいだものになり、過去の悲劇的出来事を思考の中で再生することも可能になる。また、患者の人格水準が全体的に高まることすらある。

(3)職業的偽善の影響

精神分析家が表面的には患者のことを受け止める様子を見せるが、その実、冷静で知的な様子で患者に接することは、患者にとって子ども時代に母親からの情愛が向けられず、一人孤独に耐えたことと同様である。その結果、患者はこの衝撃がもたらす症状を繰り返さざるを得なくなってしまう。

では、精神分析家はどのような姿勢でいれば良いのか。それは精神分析家が自らの過ちを認めて改める姿勢を示すことであり、患者からの批判に耳を貸す姿勢を示すことである。精神分析家がこのような態度でいることで患者との間に信頼が作られる。

(4)子どもの同一化について

以上の姿勢で患者と向かい合いフェレンツィが得た知識として、子どもの性的外傷の訴えは子ども側の性的空想であり、虚言であるという指摘は事実ではなく、現実には想像をはるかに超える数の性的虐待が行われている。最初は子どもがふざけて大人の母親になろうとしたりするが、これを勘違いする病理的資質のある大人が取り返しのつかない結果へと進んでしまうのである。

暴行された子どもは身体的にも道徳的にも絶望を感じる。思考の中でも抵抗する力がまだ備わっていないために、大人の力や権威に圧倒され沈黙し感覚が奪い去られてしまう。

しかし、この不安がある頂点にまで達すると、「攻撃者の意思に服従させ、攻撃者のあらゆる欲望の動きを汲み取り、それに従わせ、自らを忘れ去って攻撃者に同一化」させる。この同一化は攻撃者の取り入れであり、攻撃者が自身の内部に存在し一次過程に従うようになる。

さらに、この同一化が子どもの心的生活に最も重要な変化は大人の罪悪感も取り入れてしまうことである。これにより、これまでは罪のない遊びであったものを罰に値するものだと思うようになる。

これらの反応から子どもは自分が全くの無実であるにも関わらず罪を感じることとなり、自らの感覚への信頼も無くしていくのである。一方、加害者は罪の意識から、子どもに対してより冷たい態度をとることで子どもはさらに深い羞恥心や罪悪感へと追いやられてしまう。また、本来信頼できる人物(=母親など)からも救いが得られることはない。

「人格がまだあまりにも弱々しい発達しか遂げていない場合、突然襲った不快に対して、防衛の代わりに脅迫者・攻撃者へ不安から同一化しそれを取り入れることで対応する」

ここで、フェレンツィが患者に不当な扱いに対して不快感や嫌悪感を示してはどうかと促しても、患者がこの提案を頑なに受け入れなかった理由が明らかになる。つまり、患者の人格はある水準に固定化されてしまっており、それは自己変容するようないわば擬態のような反応をする水準である。

これは、不快感の中で持ちこたえる能力に欠けた人格であり、子どもが一人でいることに耐えられず母を必要とする状態と同様である。

(5)大人の愛が子どもに与える影響

フロイトは対象愛の能力に先立って、同一化の段階があると指摘をしている。フェレンツィはこの段階を受身的対象愛の段階あるいは、やさしさの段階と呼ぶ。子どもは同性の親の立場に立って、異性の親と結婚したいと願うが、現実に子どもが欲しいのはやさしさであり、特に母親からのやさしさである。しかし、子どもが望む以上の愛や別種の愛を押し付けられると病理的な結果に繋がってしまう。

親や大人は子どもや生徒から向けられる恭順さや崇拝などの同一化の反応から解放されたいという想いを抱いていることから目をそらしてはいけない。また精神分析家も患者から向けられる転移の重荷に自覚的である必要がある。

衝撃や恐怖があれば、必ず人格の分裂の兆候がある。これは人格の一部が外傷以前に退行するためであることは精神分析家にはすでに周知のことである。しかし、第二のメカニズムとして、衝撃や苦難を受けることで潜在的な素質を突然目覚めさせてしまうことが明らかになった。性的攻撃を受けた子どもが成熟した人間の感覚の全てを突然発達させるのである。

成長途上の人間に外傷が積み重なると分裂が増加しかつ多様化していき、最後は断片化して相互の結びつきがなくなっていく(解離の話をしているのか?)。子どもを縛り付けるための道具は3つあり、「情熱的な愛」と「情熱的な罰」、そして「苦しみのテロリズム」である。子どもは家族内の波乱を収めたいという強迫を持っており、他の者の重荷を担おうとする。その結果、自らの苦しみを訴える母親は子どもを母親がわりにしてしまうことすらある。

(6)性理論について

もし、フェレンツィの指摘が正しいのであれば、性理論と性器理論は修正を求められる。倒錯者はやさしさの水準にとどまる幼児的な存在で、もし情熱的で罪の意識を感じているのであれば、それは外界から何らかの刺激をすでに受けているということである。性的サドマゾヒズムのどれほどが取り入れられた罪悪感から生じているものか、どれだけが、自生的に自発的に発達するのかは今後の課題である。

(7)愛と憎しみ

この論文は子どものエロスのやさしさと、大人のエロスの情熱の相違を指摘したものであり、その違いの本質には触れられなかった。子どもの戯れのやさしさの中に苦しみを生じさせ、その結果サドマゾヒズムをもたらすものは何かという問いも今後明らかになるはずである。

本論文から予想できることは、成人の性愛で、愛の対象に愛する感情と憎む感情のアンビバレントな感情を向けることは罪悪感から生じるものではないかということである。

しかし、子どものやさしさの時期にはこの二項分裂はまだ始まっていない。大人が子どもに愛を向けて、子どもに衝撃を与えるのは、大人の憎しみが成すものである。そして、不安になった子どもに「我を忘れさせて」大人の模倣をする愛の自動人形にするのもまた憎しみである。

パートナーに自らの罪悪感と憎しみを向けて、オルガズムの瞬間に終わる戦い(原光景)を展開している大人の愛情関係は子どもに衝撃を与える。また、子どもはオルガズムという破滅感覚はまだ知らない。子どものエロス的満足と、憎しみのこもる性交時の愛との違いは今後検討が必要である。

(8)感想

フロイトは子どもにも性的な空想があると述べて様々な批判を受けたが、この論文の時代には非常に大きな権威であった。そこへ本論文は神経症者の子ども時代の空想は事実であるという反論を述べており、かなり挑戦的な指摘である。論文全体を通じて性的描写の生々しさを避けるように表現がされており、フロイトの性に偏った捉え方を嫌悪しているようにすら感じる。

この論文の反響はどれほどだったのだろうか。ただ、内容は現代の我々が思い描く性的虐待を受けた子どものイメージに合致するものが多く、この指摘の歴史的な重さを強く感じるところである。

(9)議論したい点

やさしさの水準の子どもであっても、その行動は性的な様相を示していることになる。これを理解した上で暖かい目で見守るのが大人の姿勢である。ところで、精神分析家が職業的偽善を告白すれば、同一化していた精神分析家の存在が大きく揺らぎ、患者が戸惑う面があるのではないか。

告白はすぐに信頼を生むのではなく、どこかで患者を早急に大人へと促す作用を持つと思う。これでは暖かい目で見守れない大人と同じ気がする。フェレンツィはちゃんと告白のタイミングを計っていたのだろうか。そして現代の我々が自己開示することでの患者への影響を考えてみたい。

2.大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)の解説

(1)フェレンツィの生涯

1873年7月7日にハンガリーで出生。両親はポーランド系ユダヤ人。12人兄弟の中で上から8番目であった。父親は本屋の経営と劇場の興行を請け負う仕事をしていたが、フェレンツィが15歳の時に死去。母親は父親の事業を引き継ぎ、ユダヤ社会の中でも役職ある地位についていた。ただ、母親は愛情が薄く、厳しい人物だったようである。

プロテスタント神学校を卒業後は、ウィーン大学医学部で神経学と精神医学を専攻した。医師資格を取得後はブダペストに戻り、医業に従事した。ユングの言語連想検査の追試を行ったことをきっかけにユングと親交を深め、そしてユングの紹介で、1908年にフロイトと出会った。1909年のフロイトとユングのアメリカ講演旅行に同行した。

1913年にブダペスト精神分析協会を設立し、初代会長となった。この頃にフェレンツィが訓練分析の制度を確立し、フェレンツィがジョーンズに行った訓練分析が世界初であると言われている。また、フェレンツィは1914年にフロイトから訓練分析を受けている。

しかし、同年には第一次世界大戦が勃発し、訓練分析は終了となった。この訓練分析について、フェレンツィは期間も短く、また陰性転移を扱われないものであり、少なからずの不満が残っていたようであった。この大戦を契機に多数の戦争神経症の患者が発生し、その治療を主に行う神経クリニックの主任を勤めるようになった。

この時期、家族ぐるみで付き合いのあった家庭の娘であるエルマの治療を行っていた。その中で、エルマの母親であり既婚者でもあったギゼラと恋に落ち、離婚を待ってからギゼラと結婚した。しかし、その後、ギゼラの連れ子であり、治療も行っていたエルマを愛するようになり、母娘をめぐる非常に複雑な問題を引き起こすことになっていった。

1918年に国際精神分析学会の会長に就任。1919年には精神分析家としては初めてブダペスト大学の教授となった。しかし、後ろ盾となっていたハンガリー共産党のクーン政権が崩壊し、1920年には大学教授の任を解かれ、またハンガリー医学会からも除籍され、以後は個人開業のみに専念することとなった。この開業実践の中で、精神分析技法の革新的改革に着手し、より効果的な技法論を模索することとなった。その過程で、積極技法から弛緩技法、相互分析など考案していった。

フェレンツィの臨床能力は卓越しており、フロイトは彼を「親愛の息子」と称していた。精神分析家サークル内では、馬の神経症をも治す、とまで冗談めかして言われていたようである。実際、ライヒが精神的不調を来たした時にはフェレンツィの治療を受けるように周りからは勧められていたようである。またフェレンツィの訓練分析を受けた人には、ジョーンズ、メラニー・クライン、バリントなどがいる。

1924年頃から「大実験」と呼ばれたサヴァーンとの精神分析が始まり、1933年にフェレンツィの体力的、精神的な衰えのため中断となった、そして、同年1933年5月22日に死去した。

フロイトとフェレンツィは当初は非常に濃密な関係であった。しかし、次第に二人の間には訓練についてや、理論についての齟齬が生じはじめた。ユングは割とあっさりとフロイトから去ったが、フェレンツィとフロイトは破綻と修復を繰り返しながら、最後までこじれた関係が続いていた。

フェレンツィの死後、フロイトは精神分析の訓練や精神分析の期間についての論文「終わりある分析と終わりのない分析(1937)」を書き、この中でフェレンツィとの対話を試みていた。フロイトのフェレンツィに対するレクイエムと言える。

「終わりある分析と終わりのない分析(1937)」については下記をご参照ください。

(2)フェレンツィの技法

a.フェレンツィの患者

フロイトは後期になればなるほど、精神分析家の訓練分析を中心とした、いわゆる軽度の患者の精神分析が主となっていった。反対にフェレンツィはより重篤な患者との精神分析に身を投じていった。

精神分析家サークルの中でのフェレンツィの卓越した技能に対する評価は高く、他の精神分析家では対応することのできない患者は皆フェレンツィに紹介されていた。こうした中で、フェレンツィは精神分析をより効果的に、より有効に機能させるための精神分析技法を模索していった。

b.積極技法

フロイトの提唱した禁欲原則とは、患者に即物的で現実的な満足を与えず、欲望成就を妨げながら精神分析をすすめていくことである。

禁欲原則については以下のページで詳しく解説しています。

フェレンツィはこれをさらに先鋭化させ、排尿や排便、食欲、性欲、睡眠欲といった基本的な人間の生理的欲求をも断念させていき、極度の欲求不満状態に置いた中で精神分析を行うといった積極技法を行った。

しかし、この積極技法を行った結果、激しい情動は出てきたが、精神分析が取り扱うような抑圧された葛藤ではなく、単なる不快反応にしかすぎない、ということが分かってきた。このため、フェレンツィは積極技法を放棄するに至った。

c.弛緩技法

フェレンツィは患者は幼少期に十分な愛情を享受できなかったゆえに症状を呈してしまったと想定した。そのため、精神分析家はやさしい親を演じ、心地よい環境を提供し、患者が求めるだけの愛情を供給することが必要だとした。そして、退行することを許容した。

この技法によって改善をしめす患者が多くいたことは事実のようであるが、フロイトによって禁欲原則に反していると激しく非難された。

d.相互分析

患者に対して精神分析家がもつ様々な逆転移が精神分析治療には大切であるとフェレンツィは考えた。そうした逆転移を開示し、精神分析家が患者を精神分析することはもちろん、患者が精神分析家を精神分析するという、相互分析を行うようになった。

こうしたことは、フロイトが念頭に置いていた一者心理学ではなく、関係性の中で物事が展開し、巻き込み、巻き込まれながら精神分析治療は進んでいく、という現代では馴染みの深い二者心理学の技法的導入であると言える。これは特に重篤な患者との精神分析治療では欠かすことのできない視点であり、今日の対象関係論に強く影響を与えている。

(3)外傷論への回帰

フロイトは初期、「ヒステリー研究」の時期には外傷論の立場をとっていた。しかし、以降は患者の報告する外傷的な出来事は実際にあったことではなく空想の中のことである、といういわゆる内的空想論になっていった。このことはエディプスコンプレックスを始め、精神分析の重要な概念を構築することになっていったことは確かである。しかし、それによって実際の外傷から端を発する解離やある種のパーソナリティ障害の治療には必要な概念が産みだされないということもあった。

フェレンツィは重篤な患者の精神分析治療を通して、実際の外傷を負うことの意味や、その取扱いについて論考を進めた。本論文はその結実の1つと言える。外傷、つまり養育者の乳児に対する影響は非常に大きいことは現代の視点からすると当然のことであるが、当時の精神分析はフロイトをはじめ、内的空想の視点が強かったため、こうした外傷を再度論じることは精神分析のスタンダードからは外れたことであった。

それでも、ウィニコットの「環境の失敗」やバリントの「基底欠損」、ボウルビーの「母性剥奪」などは外傷論の1つとしてみることはできる。

現代では児童虐待が世間的にも問題視されており、生命を落とす子どももいる。虐待家庭を生き抜いたとしても、成人してから様々な問題を抱えている、いわゆる虐待サバイバーも多い。近年では境界性パーソナリティ障害と幼少期の虐待の関連性は大きいとも言われているようである。

PTSDや解離性障害は一般臨床でも馴染みのある精神障害として日々接することが増えていっている。こうした患者との精神分析臨床をしていく上でフェレンツィの業績は欠かすことができないであろう。

そして、フェレンツィは外傷を負った子どもは過度に成熟し、大人のような子どもになってしまう、としている。ドイチェの「アズイフパーソナリティ」やウィニコットの「偽りの自己」、メルツァーの「偽成熟」といったことに近いことを既にフェレンツィは言及していたと言える。また最近のアダルトチルドレンにも通じているのだろう。

また、特に近親姦により性的外傷を被った患者は過酷な超自我を形成し、患者自身を過度に罰し、自己否定を強める。なぜなら、近親姦願望を成就してしまった罪悪感と、加害者から排出され、押し付けられた罪悪感の2種が重なっているためであるとしている(細澤)。

(4)精神分析家の能動性

フロイトは精神分析家の基本的な態度として中立性を中心に据えた。

中立性については以下のページをご参照ください。

これは元々は患者の自我、超自我、エス、環境のそれぞれに対して同等の距離を保つという意味であった。それが誤読され、精神分析家は情緒的な表現をしてはならない、冷たくしないといけない、現実的な問題に手出しをしてはいけない、という風に理解されてしまうこともある。

フェレンツィはこうした中立性を超えて、積極的に自己開示を行い、献身的な世話をした。上で書いた相互分析はこれの最もたるものであろう。受動性に対する、こうした能動性についてフェレンツィは身をもって提示し、今日まで続く論点を作り上げた。以下は小此木によるフロイト的態度とフェレンツィ的態度の対比図である。これをみると、現代における精神分析の臨床実践は明らかにフェレンツィ的態度に近いと思われる。

表1 フロイトとフェレンツィの比較

フロイト的態度フェレンツィ的態度
言語的コミュニケーションの重視非言語的コミュニケーションの重視
精神内界主義外界志向的接近
受動的能動的
合理主義と科学的厳密性人間的温かみと情緒交流
精神分析家としての分別の重視精神分析家のパーソナリティの重視

また、精神分析家の自己開示については現在でも様々な立場がある。比較的自己開示をすることに寛容な自己心理学派や間主観性学派があり、自己開示に消極的なクライン学派がある。ただ、この自己開示をどういうところまでを含めるのかによるが、精神分析家の解釈すらも自己開示的な要素が含まれると言えなくもない。

つまり、自己開示をするかどうかではなく、どういう自己開示をしているのかに着目することの方が現実に即している。

さらに、精神分析家の能動性がもっともよく表れるのが、構造化においてである。料金設定、時間、頻度、部屋の配置といったようなことは明らかに精神分析家が主導的に行っていることである。また一度決めた設定は容易なことでは動かさないということも能動性と言えるだろう。

(5)精神分析家の逆転移

重篤な患者との精神分析の場合、フロイトがしていたような一者心理学の観点に位置することが困難である。例えば、フロイトはウルフマンの精神分析では非常に逆転移を掻き立てられ、二者心理学の中でものを考えねばならないことに多少たどり着いていた側面はある。しかし、結果的にフロイトは幼児期神経症の側面のみをクローズアップすることで、二者心理学的な観点は排除するに至った。

そこが当時のフロイトの限界であったのだろう。逆転移という概念はもちろんあったが、それは治療に有害なものである、という程度の理解であったからだ。その後のフロイトの理論構築は二者性を排除したものを突き進むに至った。

フェレンツィはウルフマンのような重篤な患者をかなり多く抱えていたようである。そのため、逆転移というものをかなり直接的に考えねばならない状況に置かれていたと思われる。特に幼少期に外傷体験を被った患者は外傷を精神分析状況の中で反復させようとしてくる。つまり、精神分析家が加害者の立場に置かれ、加害者的に振舞うことを押し付けてくるのである。

そして、その反動から、精神分析家らしく振舞わねばならない硬直化した態度を反対に作ろうとしてしまうこともある。フェレンツィはこうしたことを含めて職業的偽善としていたのかもしれない。

こうした状況の中で精神分析家は常に揺さぶられ、失敗を犯してしまう。これらのことに開かれた態度でいることこそが重篤な患者との関係で治療を進めていくことが必要と言える。ウィニコットはフェレンツィを引用はしていないがこう言っている。精神分析家は必要な時に必要な失敗をおかす、と。

(6)精神分析家の訓練

こうした逆転移を統制し、それを精神分析に活かすためには精神分析家自身が精神分析を受けることが必然的に必要となってくる。つまり訓練分析である。少なくとも、患者が精神分析を受ける以上の期間の訓練分析は必要であるとフェレンツィは言っている。反対にフロイトは数ヶ月程度で十分であると反論している。ここにフロイトとフェレンツィとの大きな違いが如実に表れているといえる。

そして、その後の精神分析における訓練分析の趨勢はというと、フロイトの考えではなく、フェレンツィの考えに沿ったものであるといえる。精神分析家になるためには少なくとも数年以上の精神分析経験を必要としている。

こうした訓練分析を経ることによって、知的な解釈を一者心理学の視点から投与するだけの臨床ではなく、心を使った関係性を取り扱うような臨床となっていくのであろうし、それは特に重篤な患者との臨床では不可欠であると言えるだろう。

3.おわりに

このような精神分析についてさらに学びたいという人は以下をご覧ください。

4.文献


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