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公開:2018-11-12 更新:2018-11-12

アンナ・フロイト「自我と防衛」(1936)

目次

  1. 要約
    1. 9章 攻撃者との同一視
      1. 不安をおこすものを身体的表現で模倣すること
      2. 攻撃そのものとの同一視
      3. 攻撃者との同一視
      4. 超自我発達の前段階(1)
      5. 同一視と投映の機構
      6. 超自我発達の前段階(2)
    2. 10章 愛他主義
      1. 投映
      2. 愛他的譲渡 - 投映と同一視
      3. 若い女性教師の分析事例
      4. 譲渡に適した資格
      5. 愛他主義と死の不安
    3. 考察
      1. 死の欲動について
      2. カントの視点から
  2. 解説
    1. アンナ・フロイトの生涯
    2. 防衛機制の類型
    3. 児童分析
    4. 発達ライン
    5. クラインとの論争
    6. その後の自我心理学
    7. 文献
  3. PDFファイル

アンナ・フロイトの写真

図1 アンナ・フロイトの写真

アンナ・フロイト「自我と防衛 第3編 防衛の二つの類型」(1936)要約

9章 攻撃者との同一視

 以下の2章では、同一視の過程と投映の機構を具体的な問題として、具体的な行動類型をあげて、その行動過程を明らかにしたい。また種々な防衛機構が組み合わされ、併用されていることも明らかにする。

 防衛機構においては、いろいろな防衛法が組み合わされ、同じ防衛機構でも内的な力に対して利用されたり、外的な力に利用されたりする。例えば同一視は超自我形成に必要であり、衝動の克服にも役立つ。また他の防衛機構と組み合わされ、不安のもとになる外界に抵抗するための武器にもなる。

1.不安をおこすものを身体的表現で模倣すること

 ある小学校男子児童は、先生から叱られた後や叱られそうになると、よくしかめ面をした。これは先生をまねて不安を克服しようとしているため、不安を起こさせる外界の者と自分とを同一視するためであった。

 ある少女は家のホールを通ることを、暗いので幽霊がでると恐れていた。しかし彼女は言う。「ホールを恐れる必要はないわ」「幽霊の格好をすればいいのよ」と。

2.攻撃そのものとの同一視

 ある6歳男児は歯科医治療を続けねばならなかったが、治療で痛い思いをした後に、アンナ・フロイトの部屋で好戦的になった。ナイフで消しゴムを切ろうとし、綱を小さく こまごまと切った。しかしこれは歯科医という攻撃者の人格への同一視ではなく、攻撃そのものとの同一視であった。

 同じ男児が学校の運動競技で先生がさしあげていた握り拳にぶつかった。翌日彼は軍帽・玩具の軍刀・ピストルを身に付けて現れた。この格好は先生の強さの象徴であり、大人・男性的なものとの同一視であった。

 子どもは自分に不安を与える属性を自分のものとして取り入れ、不安を処理する。この際、同一視は別の重要な機構と結びついている。攻撃者を擬人化し、その属性を潜取し、攻撃を模倣することによって、恐怖を与えられる者から与える者へ、外傷的経験の処理法として受動的役割から能動的役割へと変化したと言える。

3.攻撃者との同一視

 ある保育園児は戸口のベルを激しくならす習慣があった。彼は召使を大声で叱る。彼は召使から分別なく強くベルをならすやつだと叱られる不安をもっており、叱られる前に叱っていたのである。(攻撃者と被攻撃者との役割交換)

 ある5歳の少年。彼にはいつでも臆病で制止されているところがあったが、精神分析治療が自慰と関係する空想にふれると、咆哮するライオンだと言って精神分析者を攻撃した。これは衝動の制止が取り除かれて起きたものと解釈することはできない。大人から罰を受けなければならないと思っており、その大人の攻撃的態度を取り入れ、大人に攻撃的態度を向けたのである。

4.超自我発達の前段階(1)

 上述の2人の少年は自分の行為に対する他人の批判を、自分のものとして内在化する。子どもはたえずこの過程を反復し、教育してくれる人の特質を取り入れ、属性や意見を自分のものとし、超自我形成に必要な材料を準備する。

 子どもは他人の批判を内在化するが、自己批判するのではなく、その批判を外界に向ける。攻撃者との同一視という過程に伴い、能動的に外界に攻撃を向けるという新しい防衛過程が生じる。

5.同一視と投映の機構

 ある少年が、そのエディプス・コンプレクスの最盛期に、母親との結びつきを清算しようとした。母親の示す好奇心に文句をつけ、激しく母親を叱りつける。母親は子どもが自分に求愛していることを拒絶し、攻撃されているという空想が子どもにあり、母親を攻撃していた。子どもは母親の怒りを取り入れ、自分の好奇心を母親になすりつけていた。

 精神分析治療で抵抗が生じてきた若い女性患者は精神分析者にうちとけたところがないと非難した。実はこの患者は個人的な秘密を隠そうとするところがあり、患者は精神分析者が自分を非難するだろうと考え、役割を交替して精神分析者に非難をあびせたのである。

 別の若い女性患者は憤懣をアンナ・フロイトや両親、そして他人にまでぶちまけた。他人が秘密を自分に知らせないといって、この患者は攻撃的になる。これは抑圧された自慰空想が意識に現れようとするときであり、自分が非難に価することから、それを裏返して他人を非難したのである。また他人が患者に秘密をしらせないというのは、患者の抑圧の反映であった。

6.超自我発達の前段階(2)

 子どもは両親などの批判を受け入れた瞬間に、自分の罪を他人になすりつけてしまう。攻撃者との同一視という機構は罪の投映という機構によってつくられている。罰をうける恐怖と自分の犯した罪との関係は子どもの心の中では明確になっていないからである。超自我機能が発達する前に攻撃的になる段階が必要となるのはこのためである。

 子どもは自分で自分の罪に気づいてくると、他人への非難も自動的に激しくなる。真の意味での道徳発達は、取り入れられた批判が内在化し、自我が自分の過誤を自覚するようになるときである。そしてその頃から超自我の厳しさは外ではなく内に向けられ、他人に対しての不寛容が次第になくなってくる。

 しかし超自我発達が中途で止まる人たちもいる。これは批判過程の内在化が完成されず、自分の罪を認めるけれども、他人に対する一種独特な攻撃性が残る場合である。

 攻撃者との同一視は超自我発達の初期段階であり、他方ではパラノイア形成の前段階でもある。夫が自身の不誠実をなすりつけ、妻の不誠実を非難する場合は病的なものになる。

 夫は妻との愛情的な結びつきが自身の不誠実からこわれることを恐れているからである。従って妻に強迫的にしがみつき、エスの投映にすぎない嫉妬を妻に抱くようになる。

 攻撃者との同一視という視点は精神分析中の転移の区別にも便利である。患者の攻撃が「精神分析者の批判」と思われるものとの同一視により生じたものなら、無意識に興奮が禁止されているかぎり、攻撃は増大するのである。

10章 愛他主義

 本章では、激しい葛藤なしに、表面的には道徳的な愛他主義が形成される過程がとりあげられる。ここで問題となることは、前章と同じような機構、同一視と投映が組み合わせられても、まったく違った心理的結果が生ずるということである。

1.投映

 危険な衝動の興奮を意識するとき、その危険を自我とは関係のないものにしてしまうのが投映である。幼児は自分たちの行為や願望が危険に瀕してくるとそれを否認し、無視する手段として、これらをなにか外にあるものに転嫁するために投映を利用する。

2.愛他的譲渡 - 投映と同一視

 投映の機構により人間関係を損なうこともあるが、自他の人間関係を積極的に結びつけ、強固にすることもある。後者のような投映は自分の衝動興奮を他人に「愛他的に譲渡」したものである。

3.若い女性教師の分析事例

 彼女は、子どものときに、美しい着物とたくさんの子どもを欲しがっていた。これ以外にも年上の友達の持ち物ややっていることは何でも欲し、欲望の飽くことはなかった。しかし大人としての彼女は慎み深く、欲望や野心などがなかった。幼児期からの願望は抑圧され、反動形成されているようであった。

 彼女は自分の性欲を放棄したにも関わらず、女友達や仕事仲間の愛情生活には関心を持ち、熱心な結婚媒酌人であり、恋愛の相談役になっていた。また友達の服装には関心を示し、他人の子どものために献身的になっていた。彼女は自分を捧げて、他人の世話をしようとしていたのである。

 幼児の頃の父母との関係を精神分析的に反省してみると、彼女ははやくから衝動を断念し、厳格な超自我を形成していた。このため彼女は自分の願望を満たすことができなかったのである。これらの願望は抑圧されたのではなく、それを代理して満足させてくれるような人をみつけ出したと言える。彼女は禁じられている自分の衝動興奮を代理者に投映し、この代理者と同一視したのだ。

 彼女の超自我は、自分の自我と関係ある衝動には、死刑の宣告を下し、他人の衝動には驚くほど寛大であった。しかし他人が彼女の投映していた願望を満足させてくれそうになくなると、慎み深い態度がなくなり、強引な態度となった。それゆえ他人の衝動を満足させようとする点からは愛他的と言えるが、利己的な意味をもつものであった。

 彼女の場合、自分の願望と他人の願望との区別はなかった。13歳のとき、激しい嫉妬の対象である姉の男友達に恋をした。彼女は自分がその男友達から無視されていることを思い知らされ、失望した。しかしこのとき突然、姉をきれいにしてやりたいと熱心に手助けをしたという。

 不満が問題になるときにも同じ出来事がおきた。自分が預かっている子どもにうまいものをやるのが好きだったが、その母親が子どもにうまいものを与えなかったのを見て非常に憤慨した。彼女が他人に譲り渡したものは妨げられることなく満足されるべきであったのだ。他人の願望を満足させようとするときには、制止されている攻撃的な制止をとかれ、許容されると言える。

 以上の投映と同一視が結合されている防衛過程は2つの目的に役立っている。第一に、他人の衝動の満足に対して寛大な態度をもつことができるようになり、超自我から禁止されている自分自身の衝動を間接的に満足させることができる。また同時に人間に固有な願望をある程度まで満足させるのに役立つように、制止されている活動を解放する。

4.譲渡に適した資格

 どんな人物に自分の衝動を譲り渡すのか。ほとんどの場合、代理の人物は、かつては羨望のまとであったものが多い。先の愛他的女性教師は自分が少女であるため男性的野心を満たすことができず、また、男性達に美しく見えるほど美しくはないと考えた。自分自身に失望して、野心を満たす十分な資格を持っていると思われる者に、彼女は願望を移したのである。彼女の男友達は、彼女が職業生活において達成できないものを、代わって達成してくれるものであった。また彼女より美しくみえる少女たちは、愛に関する限りでは同じ働きを果たしてくれるものであった。

 母親が子どもに対していだく純粋な愛他的関係さえも、大部分は彼女自身の願望を実現するのに「適した」男性に願望を譲り渡していると言える。

EX)愛他的譲渡をする例。エドモン・ロスタンの戯曲「シラノ・ド・べルジュラック外部リンク

5.愛他主義と死の不安

 いつも衝動を他人に投映している人は誰も死の不安というものを経験していない。衝動が他人に譲りわたされてしまうなら他人の生命は自分の生命より価値あるものになる。先の若い女教師は精神分析治療以前には死の不安を持っていなかった。彼女は精神分析治療後に死の不安を感じるようになり、以後驚くほど変わった。長生きして新しい家庭をつくり、職業生活で成功するために昇任試験に合格したいというようになった。

考察

1.死の欲動について

 このアンナ・フロイトの「自我と防衛」は1936年の出版である。アンナの父親であるフロイトは彼の精神分析理論における中核といえる欲動論を1920年「快原理の彼岸」以降、疑問をもちつつも修正していく。1923年の「自我とエス」を経て、1930年の「文化の中の居心地の悪さ」に至っては、「生の欲動」と「死の欲動」の二元論以外は考えられないと、その確信について告白している。

 しかしアンナ・フロイトはこの後期のフロイトの欲動論、特に「死の欲動」を受け入れていない。死の欲動やその外在化としての攻撃欲動をもとにして、超自我形成を説明するのではなく、両親の批判の子どもへの内在化そして子ども自身の罪の自覚から超自我形成を説明している。

2.カントの視点から

 人間の人格を手段としてのみならず目的として扱うこと。これは哲学者カント外部リンクの倫理学における基本テーゼの一つである。この問題に心理学的基礎を与えるためにアンナ・フロイトの「愛他主義」をめぐる精神分析的考察は参考になる。

 「人間の間に真の愛他的関係というものがあるかないかは問題である。ここで真の愛他的関係といっているものは、自分の衝動が他人に移されたり、昇華されたりして満足されるのではなく、全く自分の衝動とは関係なく愛他的に関係する場合である。」(10章・注)と述べている。自分の衝動満足のためだけに他者と関係することは他者を手段として扱うことになり、これは明らかに利己主義的である。また自己を他者のために捧げたとしても、他者の独立性を尊重せずに自分の衝動満足の代理者として他者をみる場合には外見的には愛他主義だが、背景には利己主義があることになる。アンナ・フロイトによれば、真の愛他的関係は全く自分の衝動とは関係のない愛他関係であり、カントに即せば人格を目的としてのみ扱う関係となる。


アンナ・フロイト「自我と防衛」(1936)解説

1.アンナ・フロイトの生涯

 1895年12月3日に6人目の末っ子としてウイーンにて誕生。幼少期はいたずらっ子だったようである。アンナが幼いころ、ネズミ男PDFと自宅ですれ違ったことがあり、その後ネズミ男はフロイトとの精神分析の中でフロイトの末娘と結婚する連想を語っていた。アンナは15歳ぐらいから父フロイトの論文を読み始めていた。1912年にコッタージ・リセウム(中学・高校)を卒業後は教師としての仕事を得た。また、教師をしながら父フロイトの精神分析講義に出席し、勉強をしていた。1918年に父フロイトから精神分析を受けはじめた。この精神分析の素材は1920年の「子どもが叩かれる」という論文に掲載されている。そして、1922年に精神分析家となった。

 1923年に父フロイトが口蓋ガンとなって以降は、付き添いや看病にいそしむようになり、同時に、精神分析サークルの要職を歴任するようになった。1937年にドロシー・バーニンガム(アンナ・フロイトと同性愛関係だったと言われている)と共にオーストリアに保育園をひらくが、ナチスドイツの侵攻のため数ヶ月で閉園となった。また、1938年3月にゲシュタポに拘束されるということがあり、それをきっかけに父フロイトはウイーンを出ることを決意。その後、フランスの王族でもあり、精神分析家でもあるマリ・ボナパルトの手引きによりイギリスに亡命した。1939年に父フロイトが死去。それ以降にクライン・フロイト論争が激化していった。第二次世界大戦の最中にハムステッド戦争孤児院を開設した。また、1947年にはハムステッド児童治療コースを開設し、1952年にハムステッド小児科クリニックを開設した。1967年にエリザベス女王から大英帝国勲爵士の称号を授与され、また1973年には国際精神分析学会の名誉会長となった。1982年に86歳で永眠した。

2.防衛機制の類型

・幼児期

現実否認、攻撃者への同一化、愛他主義

・思春期

禁欲、知性化

・発達段階早期

退行、逆転、自身への向け変え

・発達段階後期

抑圧、昇華

・理論によって異なる

投影、取り入れ

・その他の防衛

反動形成、隔離、打ち消し

3.児童分析

 子どもは精神分析家よりも親の影響力が強いこと、転移神経症を起こさないこと、などから精神分析をそのまま適用できないとした。そして、以下のパラメータの導入を提起した。

  • 治療開始前に治療準備期間を設けること
  • 教育的かかわりを重視すること
  • 良い関係性を維持すること
  • 自由連想に変わって遊戯を導入すること
  • 遊戯は無意識の表れではなくコミュニケーションの媒体であること
  • 父母に治療への協力を求めること

 こうしたスタイルは日本の親子同時並行面接やカタルシス目的のプレイセラピーに強い影響を与えた。

4.発達ライン

  1. リビドー発達のライン(口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期)
  2. 身体的な機能のライン(排泄、摂食、身辺自立、身体管理)
  3. 対象世界のライン(自己中心性から他者の存在を認めて仲間になっていく過程)
  4. リビドーの備給対象のライン(欲動エネルギーの向き先が自身から外側にかわっていく、身体、玩具、勉強、仕事)

 発達診断法に影響を与えていった。

5.クラインとの論争

 1920年代後半から始まり、1940年にはピークに達した。その後、紳士淑女協定が結ばれ、訓練システムが整備されていった。

6.その後の自我心理学

  • 自律的自我、自我の葛藤外領域。知覚、思考、言語、記憶、運動機能、知能など。
  • エリクソンのライフサイクル論、発達論
  • 適応論と社会学的観点
  • 保育、教育、福祉などに精神分析の応用を実践。

7.文献

PDFファイル

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