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子どもにおける良心の早期発達

メラニー・クラインが1933年に書いた「子どもにおける良心の早期発達」という論文の要約と解説。クラインは、フロイトの提唱した超自我の発達の時期を前倒しし、早期の乳幼児の発達について検討している。

メラニー・クラインの画像

図1 メラニー・クラインの写真

1.子どもにおける良心の早期発達(1933)の要約

(1)本論文の背景

  1. 1928 クライン『エディプス葛藤の早期段階』⇒超自我はエディプスコンプレックスの終わりよりも始まりの時に形作られる。
  2. 1929 クライン『子どもの遊びにおける人格化』 ⇒不安の源泉は早期型の超自我である。
  3. 1932 クライン『児童の精神分析』⇒早期型超自我の不安が良心へと変わる。

(2)フロイト理論とクライン理論における超自我

フロイトによると、人は自分の両親を自分の内に取り入れ、内在化する。そしてそれが自我とは区別された超自我となる。超自我は自我の残りの部分に対して要求・非難・警告を行い、本能衝動とは対立的な働きを持つ。クラインは、2歳9ヶ月と4歳の間で子どもの超自我は十分に活動しているとした。しかも、年長児や成人の超自我に比べて、この早期型の超自我はとても厳しく、過酷なものであるとした。

(3)大人の超自我と子どもの超自我

幼い子どもの超自我は大人より、途方もなく空想的な性質を持っている。子どもたちは圧倒され、粉々にされ、ずたずたに引き裂かれるという恐怖、あるいは迫害者によって囲まれるという恐怖を持つ。神話や童話の中の人食い狼・火を吹く竜・すべての邪悪な怪物などは子どもの空想の中で無意識のうちに影響を及ぼし、子どもたちはそれらの邪悪な奴らに迫害され脅かされているように感じている。

そして精神分析的観察から、これら想像上の恐ろしい奴らの背後には、歪められ空想的になっている子どもの両親が現実の対象として存在しているということが分かった。

(4)両親のイマーゴと超自我

子どもが、両親とそれと同等視した内在化された野獣や怪物を恐れているとすると、次のことが言える。

  1. 子どもの超自我は子どもが取り入れた彼らの想像的人物像あるいはイマーゴから作られる。
  2. 現実の対象に対する子どもの恐怖症的不安は、非現実的な超自我に対する恐怖と現実の対象(これも超自我の影響を受け空想の光を当てられている)に対する恐怖の両方に基づいている。

(5)両親の空想的イメージの起源

早期分析により、想像された対象に対する恐怖と対応する量の抑圧された攻撃衝動を見出し、子どもの持つ恐怖と攻撃傾向の因果関係を観察することができた。フロイトは、人間の生命の始まりにすでに、攻撃衝動ないし死の本能が、リビドーないし性の本能(エロス)と対立し絡み合っているとした。

そして人間は、死の本能に破壊されることから逃れるために、自己愛的・自己中心的リビドーを用いて死の本能を外へ押し出し、対象へ向けるとし、この過程を人間の対象とのサディスティックな関係の基本であると考えた。

(6)死の本能の行方と超自我発達

死の本能、攻撃衝動によって破壊されるという危機感が、自我内に過度の緊張・不安を惹き起こすため、子どもは心的発達の初めに死の本能に対してリビドーを動員するという課題に直面させられる。しかし、死の本能とリビドーは融合しているため、不完全な防衛に終わってしまい、死の本能が対象へと外に向かっていくだけでなく、精神内界へ向けられ、それに対する防衛反応が進行してしまう。

この防衛反応が超自我発達の礎石となっているとクラインは考えている。この超自我は、非常に激しい破壊衝動が基になっているので、過剰な暴力性を含んでいる。

(7)子どもの不安と恐怖

子どもは自分の攻撃衝動から起こる不安を外界の対象に対する恐怖と受け止める。その理由は、一つは、子どもはその対象を外的目標としていること、もう一つは、攻撃衝動を対象に投影して、その対象から自分に攻撃が出ていると感じるからである。

このようにして、子どもたちは自らの不安の出所を外側に置き換えて対象を危険なものに変えている。しかしながら、その危険は本来子ども自身の攻撃衝動によるものなので、対象に対する恐怖は決まってその子自身のサディスティックな衝動の程度に比例している。

(8)非社会的あるいは犯罪的人間の行動の原因

子どもは、現実の対象や超自我の両方から想像を絶す残酷な攻撃に苦しめられるのではないかという恐怖心や不安に支配されるようになる。その不安は、敵対する対象の猛攻から身を守るために、子どものサディズム衝動を強化させてしまう。

その結果、より子どもの不安が増すという悪循環を生んでしまう。これが非社会的あるいは犯罪的傾向の底にある心理機制を形作ることになる。つまり、人間は超自我の弱さや欠如によって非社会的、犯罪的になるのではなく、逆に超自我が過度に厳しく残酷になった時にそうなるのである。

(9)超自我発達の行方と良心の形成

性器愛期が始まり、子どものサディズムが軽減すればそれだけ、非現実的な恐ろしいイマーゴはますます背景に退く。そして、性器愛的衝動が力を増すにつれて、口愛的吸乳期の寛大で親切な母親への固着にもとづいたイマーゴが現れてきて、現実の対象により近づいてくる。

この頃の超自我は、より温和で説得力のあるルールを使って対応可能な要求を始め、それが真の意味での「良心」となるのである。

(10)超自我の性質の変化によってもたらされるもの

超自我の性質の変化によって、自我や防衛機制も変化する。超自我が主に不安を呼び起こすものである限りは、超自我は、自我の暴力的防衛機制を引き出すことになる。

子どものサディズムが軽減すると、不安があまり惹き起こされず、罪悪感をより惹き起こしやすくなるとすぐに、道徳的・倫理的態度の基礎を形成する防衛機制が活発になり、子どもは対象に対して思い遣りをもち社会的感情を快く受け入れるようになり始める。

(11)子どもの攻撃空想をどう減少させていくか

死の本能ないし攻撃本能と性の本能(エロス)の間には、あらゆる点で密接な結びつきと相互作用がある。

そのため、精神分析を通じて、リビドー的空想を追及していってその最早期の起源を同時に明らかにできる時に初めて、子どもの攻撃的空想を詳細にわたってたどりながら攻撃衝動を減少させていくことができ、その逆もまた同じである。

(12)子どものサディズム衝動

フロイトとアブラハムによると、子どものサディズム衝動はリビドーと破壊本能の融合が起こるリビドー体制の前性器愛的な最早期段階に最高潮に達する。口愛的吸乳期に続く口愛的サディズムでは、子どもは人食い空想を伴うカニバリスム期を経験し、破壊衝動を満たそうとする。

これに続く肛門愛的サディズム期でも、排泄過程への関心の高まりも烈しい破壊傾向と密接に関連している。具体的には、糞便の放出は、合体した対象(すなわち、性交中の両親)を象徴していて、敵意と残酷の感情、さらに種々の破壊欲求を伴っている。

早期分析から収集した材料から、口愛的サディズム段階と肛門愛的サディズム段階の間に、尿道愛的サディズム傾向と思われるもう一つの段階が存在し、肛門愛的傾向・尿道愛的傾向のいずれも口愛的サディズム段階と直接的につながっている、ということが示唆される。尿道愛的・肛門愛的段階では、尿や糞便を利用して、母体内部を破壊しようとする。

(13)母親への攻撃

早期分析が示すところによると、子どもが両親の性交や子どもの出生その他に関する無意識的理論を持つのは、前性器愛的衝動が状況を支配している時である。この時期に子どもは、性交時の母親は口腔を通じて父親のペニスと合体し続けていて、そのため母体は非常にたくさんのペニスや赤ん坊で満たされている、といった性理論を持ち、子どもはこれら全ての物を食い尽くし破壊したがる。

それゆえに、母親の内部を攻撃する際、子どもは非常に多くの対象を攻撃する。子どもはまず子宮という世界を攻撃し破壊したいという欲求を持つ。そのため、子どもは最初から世界を自分に敵対するものとみなす心構えができていて、自分に攻撃をかけようと身構えている対象と一緒に住んでいることになる。

(14)罪悪感の発達

子どもが母親を攻撃する際、父親・弟・妹、さらには全世界を攻撃しようとしているのだという子どもの信念が、一般に罪悪感や社会的・道徳的感情の発達の基礎になる。その理由は、超自我の過度の厳しさが減少すると、超自我の自我への監視(想像的攻撃の名目でなされる)が、罪悪感(対象になされた想像上の損害を償おうとする強い傾向の喚起剤)を子どもの中に生じさせるからである。

そして、破壊的空想の個々の内容や詳細は「昇華」の発達を促すようになり、この昇華は、間接的には再建傾向を促し、直接的には、他者を助けようとする欲求を作り出す。

(15)子どもの建設的傾向

遊戯分析によると、攻撃衝動が絶頂にある時には、子どもはあらゆるものを破壊することに熱中し、それは不安の襲来や罪悪感と交互に起こる。しかし、精神分析経過中に不安が減少するにつれて、その子の建設的傾向が前面に出始める。

そのような時には、子どもの家族に対する関係も変化を示し、対象関係が改善し始めて社会的感情も成長する。超自我を最深層まで精神分析することによって、子どもをより幸福で健康にするだけでなく、子どもの対象関係・昇華能力・社会的適応能力を改善させ、社会的・倫理的感情を伸ばしてやることができる。

(16)精神分析によって起こること

精神分析で子どもの心の深い水準に入り込むことができると、最早期から生じるサディスティックな要素を抑えることができ、超自我の厳しさを軽くすることもできる。さらに、精神分析により、子どもに社会的適応能力を獲得させるだけでなく、成人になってからの道徳的・倫理的基準を発達させることもできる。

そこでは、超自我は罪悪感ないし良心を生むような性質と機能を発達させるようになる。精神分析が育児の一部となると、それはユートピア的なものだが、各個人の破壊衝動を強化している恐怖や敵意ある態度は、仲間に対するやさしいより信頼できる感情に変わり、世界は現在よりも平和な行為に満ちたものになるだろう。

(17)感想

a.非社会的・反社会的行動

非社会的・反社会的行動の背景に、過度に厳格で残酷な超自我があるという考え方は、非行少年や被虐待児の行動を見ていると、臨床的に一致していることが多いので共感することができた。

b.正統的な精神分析

FreudやAbrahamの考えを多く引用しながら自らの理論を構築していて、いわゆる正統的な精神分析の考えからなるべく出ないようにしている様子がこの論文からうかがえて興味深かった。

(18)議論したい点

青年期や成人期で、非社会的、反社会的行動を示すクライエントの場合、心理療法の中でどのようなプロセスを経て「過度に厳格で残酷な超自我」は変容していくのだろうか?

2.子どもにおける良心の早期発達(1933)の解説

(1)メラニー・クラインの生涯

1882年3月30日にウイーンで出生。父親であるモリツ・ライチェスは医師であり、文学にも詳しく、数ヵ国語を話す博識な人物であった。ただ、医師としては成功はしていなかった。父親の最初の結婚はうまく行かず、離婚となり、その後、クラインの母親となるリブサ・ドイチェと再婚した。結婚時、父親は47歳、母親は24歳であった。

家計は母親がペットショップなどを営業し、その収入で暮らしていた。兄弟は6歳上の姉エミリー、5歳上の兄エマニュエル、4歳上の姉シドニーである。上3人は年子で、クラインはそこから4歳も離れているが、もともとは計画にない、「予想外」にできた子どもであったとのこと。また、母親の事業の関係で、上3人は母乳だったが、クラインだけは乳母に育てられた。母は愛情関係に疎く、しかし、過干渉的で、支配的な女性であった。

クラインが4歳の時、優しくて、算数などを教えてくれていた姉シドニーが肺結核のために死去した。シドニーは長い闘病生活であり、自身の死期が近いことをしっていたのか、知っていることをすべてクラインに託そうとしていたようであった。兄エマニュエルもクラインに対して優しく、またクラインの才能を認めていた。

エマニュエルは心臓病を患っており、非常に病弱であった。彼は医師を志すと同時に、芸術に深い関心があった。彼はクラインを色々なサークルに連れていき、見聞を広めさせた。そのサークルの中で、後にクラインと結婚することとなるアーサー・クラインと知り合った。この時期、父親は既に認知症となっており、クラインが18歳の時に死去した。

クラインは父や兄のように医師になることを希望していたが、経済的な問題のため、家庭の問題のため(姉エミリーの夫の暴力とギャンブル癖)、母や姉の勧めでアーサーと婚約した。しかし、その後すぐに兄も死去している。その兄の死の悼みが癒えないまま数ヶ月後に結婚し、家庭に入ることとなった。

結婚後のクラインは夫の仕事のため欧州各地を転々としていた。そして、22歳の時に長女メリッタを出産。メリッタは後に精神分析家となった。25歳の時に長男ハンスを妊娠中に酷いうつとなり、2年半の療養生活を送っている。1910年(28歳)の時にブタペストに移住。クラインは結婚後、日に日に悪化するうつ病のため、ほとんど機能することができなくなり、家事や育児は他の家族やお手伝いに任せている状況であった。

その折、夫が当時ブタペストで開業していたフェレンツィと個人的な知り合いだったことをきっかけにクラインはフェレンツィにうつ病治療のための精神分析を受けることとなった(1913年 31歳)。そして、32歳の時に次男を出産し、その4ヶ月後に母親が亡くなっている。

フェレンツィとの精神分析の中でフェレンツィはクラインの才能を見出し、精神分析家になることを勧め、クラインもインスティテュートで学ぶようになった。そして、1919年に「誕生の状態における家族幻想」という論文を提出し、精神分析家となった。1921年に夫が仕事の都合でスウェーデンに行くこととなったが、それにはついていかず、別居となった。

クラインはフェレンツィとの精神分析に物足りなさや不満を抱えており、その折、学会で知り合っていたアブラハムを頼ってベルリンに移住することとなった。アブラハムはクラインに子どもの精神分析を勧めた。アブラハムは躁うつ病の研究から早期幼児期の攻撃性の探求に関心を向けており、クラインはそうしたことを実践してくれるのにちょうど良い人物であった。

ベルリンに移住したクラインはアブラハムという良き指導者に恵まれ、また9歳下のジャーナリストであるクロツェルとの恋愛があり、しばらくは充実した生活であった。またクラインは42歳からアブラハムの精神分析を受けるようになったが、18ヶ月という短い期間で、アブラハムの死をもって中断してしまった。

アブラハムという後ろ盾がなくなり、ベルリンにいることが困難になっていた時期に、ジョーンズによってイギリスに招聘されて連続講義を行った。その講義に勇気づけられ、またジョーンズの子どもを精神分析するということでイギリスに移住することとなった(1926年 44歳)。

イギリスでのクラインはジョーンズに守られつつ、賛同者や弟子が徐々に増えていき、精力的に臨床実践と研究を行っていた。しかし、1933年頃から既に精神分析家となっていたメリッタ・シュミデバーグとエドワード・グラバーがインスティテュート内で公然とクラインを批判するようになり、また翌年の1934年には長男ハンスが登山中の事故で死亡するということもあった。

この時の哀しみは非常に強く、クラインは酷い抑うつ状態に陥っていた。1936年にはフロイトとその娘であるアンナ・フロイトがイギリスに亡命してきており、その前後からイギリス精神分析学会の中では論争が繰り広げられるようになった。

その論争は時として感情的なものが含まれており、また娘であるメリッタもアンナ・フロイトの側に立っていたこともクラインにとっては非常な苦しみであった。その後、論争自体は収まっていったが、1951年にはウィニコットが、1955年にはハイマンがクライングループから離脱していったことはクラインにとっては喪失であった。

1960年の夏にクラインはスイスで休暇を取っていたが、突然吐血し、エスター・ビックがロンドンの病院に連れていった。そこで結腸癌が見つかった。9月に手術をし、それ自体は成功したが、その数日後にベッドから転落し、骨折をしたことで合併症を引き起こし、9月22日に78歳で死去した。

クラインからスーパービジョンや訓練分析をうけた精神分析家は多数おり、その一部を挙げると、スーパービジョンではウィニコット、ミルナー、ボウルビィが、教育分析・訓練分析ではビオン、ローゼンフェルド、スィーガル、メルツァーなどがいる。ちなみにクラインが使っていたカウチはメルツァーが譲り受けたようである。

(2)プレイ技法

フーグ・ヘルムースやアンナ・フロイトが子どもの精神分析を行っていたが、いずれも教育的な関わりが強く、自我支持的な方法であった。ちなみにヘルムースは精神分析を自身の甥に行っていたが、その甥に殺されるという事件があり、当時の欧州では精神分析は危険なものであるというキャンペーンがはられていたこともある。

クラインが子どもの精神分析を実施する際の、部屋の設定では、簡素で、精神分析に必要なもの以外は一切ない方が良く、具体的には洗える床、水道、テーブル、2~3の椅子、小さなソファ、いくつかのクッション、たんすだけで良い。

おもちゃは小さな木製の男女の人形が大小2つずつ、自動車、手押し車、ブランコ、汽車、飛行機、動物、樹木、積み木、家、塀、紙、ハサミ、ナイフ、鉛筆、チョークかペンキ、のり、ボールやビー玉、粘土、紐などである。そして、こうしたものを各子どものそれぞれの専用の箱に入れておくとしている(クライン 1955)。こうした設定を見てみると、日本でよくあるプレイルームのゲームや運動器具が備えている大きな部屋のイメージとは相当違うことが分かる。

クラインはプレイを成人の自由連想に相当するものであると位置づけ、教育的かかわりや陽性の関係をつくるような関わりを排除した。そして、プレイにあらわれる象徴的な意味を初期から解釈していき、根源的な無意識を扱っていった。

(3)妄想分裂ポジションと抑うつポジション

表1 両ポジションの比較

妄想分裂ポジション抑うつポジション
論文分裂的機制についての覚書(1945)躁うつ状態の心因論に関する寄与(1935) 喪とその躁うつ状態との関係(1940)
時期生後から4ヶ月まで4~5ヶ月以降
対象関係部分対象全体対象
不安迫害不安抑うつ不安
防衛スプリッティング、投影同一化、否認など躁的防衛など
発達良い対象の取り入れ良い対象と悪い対象の統合 攻撃性と罪悪感の受け入れ 償いと感謝

フロイトやアブラハムのような発達段階ではなくポジションとして位置づけられているところがまずは非常に重要である。つまり、発達段階のように通過すればそれで終わり、ということではなく、一生涯を通じて、これらのポジションが常に作動し、そのどちらが優位で、どちらが大きいかの比較で理解できるからである。

なので、成人で、健康な人でも時と場合によっては妄想分裂ポジションが優位になり、その観点で振舞ってしまう、ということはしばしば起こることである。セラピーの中でも、1セッション中にころころと両ポジションが行きつ戻りつすることもよくある出来事である。

その後の精神分析では、ウィニコットは病的な命名に疑念をもち、思いやりの段階などと言い換えたりしている。さらに、シュタイナーは妄想分裂ポジションと抑うつポジションの間の中間ポジションがあるとし、それを病理的組織化とした。その他にもメルツァーは抑うつポジションは妄想分裂ポジションよりも早期に存在するとし、両ポジションの順序を入れ替えた。オグデンは妄想分裂ポジションの前に自閉隣接ポジションを置き、自閉症、自閉スペクトラムの理解を推し進めた。

(4)超自我から羨望

フロイトは超自我をエディプスコンプレックスの末裔として、エディプスコンプレックスが終わる5歳前後で成立するとした。しかし、クラインは本書において、超自我はエディプスコンプレックスに先駆けて存在するものであると逆転させた。

そして、そうした早期幼児期における超自我は非常に過酷で、残酷で、残虐なものである。なぜなら、超自我は死の欲動から生まれたものであり、自己を攻撃し、破壊し、ついには滅亡させてしまうことを目的としているからである。

そして、そうしたことは良い対象に対する破壊衝動としてもあらわれる。良い対象は取り入れられて良い自己の基礎となるが、その良い対象を破壊することは、取り入れられるべき供給元が絶たれることであり、すなわちそれは自己を破壊することになる。クラインはこうした羨望は死の欲動のもっとも生々しい表現型であるとしている。

(5)孤独感

ここで取り扱っている孤独感は客観的な状況として一人でいること、孤独でいることを指してはいない。例え、外的には誰かと一緒にいようとも孤独感を感じることがある。そうではなく、内的な体験としての孤独感をここでは扱っている。孤独感はいくつかの心的あり方に起因しているが、その一つは抑うつ感から、二つは妄想的不安から、三つは自我の統合から、である。

クラインの孤独感の理論については以下をご参照ください。

a.抑うつ不安からの孤独感

早期の母親との間でなされていた濃密な関係があり、そうした過去の濃密な関係に戻りたい願望が満たされることはない。その取り返しのつかない喪失感・抑うつ感が孤独感となる。

b.妄想的不安からの孤独感

死の本能に根差した破壊的衝動が投影同一化を通して母親に排出される。それによって、母親やその乳房は迫害的に彩られ、不安が惹起される。このような妄想的な不安により、周りに味方がおらず、無力な自分のみであるという感覚となり、それが孤独感の根源となる。

c.自我の統合からの孤独感

生後4ヶ月以降には、妄想分裂ポジションから抑うつポジションに移行し、自我が統合に向けて動き出す。良い対象と悪い対象が統合され、破壊的衝動と愛情も統合される。しかし、完全で永久的な統合は決して起こらず、終生、その両面の葛藤が存続することとなる。

そうした葛藤の中で分裂排除された部分を再獲得したいという切望はあるが、それは不可能なことである。その分裂排除された部分があるため、自己が完全に所有していないという喪失の感情が生まれてくる。それが孤独であると感じられるものである。

こうした孤独感は統合失調症や躁うつ病では、極端で、病的なものとしてあらわれてくるだろう。しかし、反対にこうした孤独感を和らげる要因もある。クラインはその要因として、良い対象の内在化、良い対象への同一化、全能感の減少、超自我の過酷さの減少、極端ではない投影同一化による親密感の形成、ある種の諦め、等をいくつかを挙げている。

そして、そうした孤独感が和らぐことがなく、自己を脅かす時には防衛を作動させる。例えば、極端な依存、内的対象への逃避、早い独立、過去への執着、未来の理想化、他者からの評価を求める、躁的防衛、孤独の否認、などである。

このような孤独感についてクラインは、外的な影響によって増減することはあっても、完全になくなることはないとしている。なぜなら、孤独感は基本的には外的なものではなく、内的な過程のものであり、心的な苦痛や葛藤と同様に生涯を通して存在し続けるものとして位置付けているからである。

3.おわりに

このような精神分析についてさらに学びたいという方は以下をご参照ください。

4.文献


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