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対象関係の観点から見た心の中の構造

W,R,D,フェアベーンの1944年の論文「対象関係の観点から見た心の中の構造」についての要約と解説。スキゾイドパーソナリティや精神構造論の改定などを行い、対象関係論の祖と言える。

図1 W,R,D,フェアベーンの写真

図1 W,R,D,フェアベーンの写真

1.対象関係の観点から見た心の中の構造(1944)の要約

(1)対象が内在化されているということを原理にした対象関係心理学

対象が心理的に取り入れられるということ・取り入れられた対象が内的現実のうちにあり続けるこということ。つまり、リビドーが本質的に対象を求めているものであることを示す

(2)衝動心理学とその限界

フェアベーンが、「対象関係」という立場をとるようになった背景:ある種のスキゾイド傾向を示す患者たち=対象関係のことが特に難問となるような一群の人たちが示してくる問題をよりよく理解しようとしたかったから。

a.衝動は対象から切り離して考えられない

「衝動」について:エネルギーを与えている心の中の構造があればこそ結ぶことができている対象関係から切り離しては考えられないもの。つまり、構造と絡めて衝動を考えるべし。

「衝動」として知られているような力動的な負荷を、現実という文脈の中で如何に開放するか=社会秩序の中でいかに対象関係を結ぶのか

b.精神分析の治療成果は、転移という対象関係と密接な関係を持つ

精神分析の治療の成果は、転移という現象、すなわち、患者が精神分析家との間にある特別な対象関係を形作るということと密接な関係を持つという点である。

c.衝動は自我構造からも切り離せられない

そもそも対象関係には、対象の前に自我が存在する。対象と関係を求められるのは自我構造だけなのだから、自我構造についても考える必要がある。

(3)構造心理学と構造の抑圧

もし、衝動が自我構造と切り離しがたく結びついていると考えることになるとすれば、エス由来の衝動を取り扱うために自我が用いる機能としての抑圧はどうなる?と問題提起。フェアベーンの見解によると、一次的に抑圧されるのは、悪いものとして扱われるようになった内在化された対象に加えて、内的対象との関係を追い求めている自我の部分も抑圧される。

抑圧は自我の機能であるため、この点を説明するには、自我にはある種の多様性があるということを仮定せざるをえないということなのだ。

(4)スキゾイドポジション

フロイトやメラニー・クラインは抑うつを中心に据えており、「抑うつ的」という語が多用されている。しかし、フェアベーンからすれば、精神分析家の元に来る不安状態や精神神経症状や性格の問題を抱えている感情は抑うつ的というよりスキゾイド的なものであるようなのではないか。ここでいうスキゾイドは、不毛感(sense of fuitility ※futility:目的のない行為)という感情である。

(5)自我の多重性

「構造心理学と構造の抑圧」で、抑圧の対象は悪い内在化された対象に向けられるという見解を述べたが、これに対して手を加えなければならないと思い出した。そのきっかけとなったのが、不感症の女性の夢分析。夢に出てくる5人の人物を当初は、夢主自身の人格(自我、超自我、エスとの関連)と自我が同一化しているものとして解釈しようとしていたが、満足いくことなくいた。

そこで、超自我が作動している水準よりも下の水準で考えたところ、別々の自我構造(中心的自我、リビドー的自我、攻撃的で迫害的な自我)で解釈した方がしっくりした。またその後の経験から、この分類は普遍的に用いることができるのではと考えるようになった。

(6)中心的自我と従属的自我との対象関係

不感症の女性の夢の解釈を進め、中心的自我とは意識・前意識・無意識にわたっているもの。一方で、その他の従属的自我(リビドー的自我、内的妨害者)に関しては、無意識下に属し、中心的自我と従属的自我は互いに攻撃性やリビドーが向けられている。

また、無意識下には、活発なリビドーが向けられる興奮させる対象、リビドー的な愛着を持ってその対象に結びついていると見做される拒絶する対象も存在する。

(7)心の中の基本的な状況とその上に立った精神構造論の改定

今まで述べてきたフェアベーンの中心的自我、リビドー的自我、内的妨害者とフロイトのいう自我、超自我、エスの対応関係について考察。

a.中心的自我

自我にかなり対応しているが、重大な違いがある。それは、中心的自我は、何か他のものから派生してくる自我と違って、一時的で力動的な構造だと考えられており他の精神構造がそこから派生していくような構造。

b.リビドー的自我

エスに対応する。しかしフェアベーンは、自我はエスの派生物だという見解を取っていたのに対して、リビドー的自我が中心的自我の派生物だとした。中心的自我より、幼児的でより組織化が進んでおらず、より現実適応が悪く、より内在化された対象に傾倒している。

c.内的妨害者

超自我と違って道徳的な意味合いを持っていない。

(8)心の中の基本的な状況と自我の多重性の起原

心の中の基本的な状況が生じてくるのはまさに、人生早期において、対象つまり母親の乳房に対するアンビバレンスの状態が確立されてくるところからである。人生早期のリビドー的な挫折の体験こそが、そのリビドー的対象との関係において幼児の攻撃性を呼び覚まし、アンビバレンスの状態が引き起こされる。

幼児は全力を尽くして外傷的な要因を内的現実という領域の中へ、つまり、まだ自分でコントロールできる度合いが高いように感じられる内的現実という領域へと移し替えようとする。対象の内在化は、本質的には制圧の手段だと思われるため、悪い対象が内在化される。

自分のこころという内的経済の中に、自分の欲求を挫折させ続け、かつその欲求を刺激し続ける対象を導き入れる。もともと持っていたリビドー的愛着は、分割された良い対象、悪い対象両者に向けられ、よって、自我の分割がなされ、対象の抑圧が進むにつれ自我の分割が既成事実となっていく。

(9)リビドーと攻撃性の処理をめぐる分割統治の技法

子供は、もし攻撃性を表にすれば、良い対象を失うことになる恐れが待ち受けている。

→こちらは、抑うつという感情を引き起こす。

一方、もしリビドー的な欲求を表にすれば、自分のリビドーをそして究極的には自分自身を成り立たせている自我構造を失うことになる恐れが待ち受けている。

→こちらは、スキゾイド状態を発現させる。

自分の対象に対して、リビドー的、攻撃的な感情を表にするというそのいずれの危険をも免れるべく、自分の持っている最大限の攻撃性を使って、自分のリビドー的な欲求を最大限に制圧しようとする。多すぎる分のリビドーはリビドー的自我に、多すぎる分の攻撃性は内的妨害者に引き取られる。

攻撃性を使いながらリビドー的欲求を制圧しようとする技法というのは、内的妨害者がリビドー的自我を攻撃するということを意味することになる。

(10)エディプス状況の意味

フロイトが言うエディプス状況は、人生早期の母親(乳房)に対するアンビバレントな状況をなんとかしようとしたという発達段階の結果である。つまり、もともとは母親に対してアンビバレントな思いをベースに持ち、その後、父親に対してアンビバレントを持つようになり、それがフロイトの言うエディプスなのだが、そもそも母親への適応の模索があった上でのエディプスなのだ。

子供は状況を単純化させようと、一方の親を興奮させる対象とし、もう一方の親を拒絶する対象とそれぞれイコールで結ぶようになり、子供が自分の手でエディプスを作り上げるという側面もある。

(11)神経症的な不安とヒステリーの人が味わう苦痛

リビドー的感情が手に負えないほど増加した場合、一定の閾値を超えると、実際に表出されるリビドー的な感情は、内的妨害者がリビドー的自我に向ける攻撃性の影響の下、不安に転換される。さらに一段上の閾値に達すると、どうしても放出せざるを得ないリビドー的な感情に苦痛として表現される。

(12)説明体系としての力動的構造の心理学

精神構造論において、フロイトの理論(自我・超自我・エス)より、フェアベーンの理論(中心的自我、リビドー的自我、内的妨害者と興奮させる対象、拒絶させる対象)は優れているぞという主張。理由としては、フェアベーンの方が数が多いので多くの順列組み合わせが考えられる。

フロイトの理論(リビドー的な立場にある自我と反リビドー的な立場にいる超自我との葛藤)は多くの限界を持っており、より複合的な関係のパターンを考えるべきだとした。

また、フェアベーンが考える精神分析治療の重要な機能は、自我の分裂を軽減させること、従属的自我が向けている攻撃性の度合いを最小限まで引き下げることである。

心の中の基本的な状況においては、最初はヒステリカルな性質を持ったものであるが、ヒステリカルな感情表出さえもうまくいかなくなり、感情全般にわたる抑圧が起きた時に、人は過度に感情離脱的となり、深刻な不毛感を体験し、スキゾイド状態が発現してくる。

(13)内在化された対象の力動的性質

これまで内在化された対象においては力動的でないものとして取り扱ってきたが、内的対象も構造なのだから、少なくとも対象は力動的なものがあることと結論づける。

(14)議論したい点

エディプス以前の、人生早期の母子関係で生じたアンビバレントな感覚がエディプスに影響しているというのは、とても納得感がありました。

エディプス以前のどういう発達がエディプス期の発達に影響(プラスマイナスともに)していると日々の臨床でお感じかお話をお聞きしたいです。

2.対象関係の観点から見た心の中の構造(1944)の解説

(1)フェアベーンの生涯

1889年8月11日にスコットランドのエジンバラにて出生。家庭は熱心なプロテスタントであった。彼は当初は弁護士を目指しており、エジンバラ大学に進学して、哲学を勉強していた。その後、キール大学(ドイツ)、ストラスブール大学(フランス)、マンチェスター大学(イギリス)などに留学し、神学やギリシア語などを学んだ。

1914年に第一次世界大戦が起こると、彼は兵役に志願。パレスチナなどで戦争を体験した。この時の周囲の戦争神経症などを目撃し、また自身の戦争体験から精神療法、精神分析を志したと言われている。復員後はエジンバラ大学医学部に入学。この大学時代にE,H,コルネルに個人分析を受けていた。1923年に卒業と同時に医師資格を取得。

1年ほど王立エジンバラ精神病院で研修を積み、1924年にはエジンバラで精神分析の個人開業をするようになった。それと同時に、大学講師をしながら1927年には学位を取得。しかし、大学内が精神分析に対して敵対的な雰囲気であり、1935年には退職した。また、児童クリニックなどで非行や虐待の子どもを見ていたが、その時の経験が愛情希求性などの理論に大きく寄与したと言われている。

彼は正式な精神分析家の訓練は受けていないが、その功績を認められ、1939年に精神分析家の資格を取得した。1952年には妻が死去し、彼も悪性インフルエンザに罹患して、体調が悪化していた。その後もちなおし、1959年には再婚。1961年には少しの仕事を残し、引退。1964年の大晦日に75歳で死去した。

(2)スキゾイド・パーソナリティ

a.スキゾイドの特徴

  • 万能的態度
  • 孤立
  • 内的現実へのとらわれ

b.スキゾイドの3つの悲劇

  • 自分の愛は愛するものを破壊してしまう
  • 憎み・憎まれることへの強迫的な衝動によって駆り立てられながら、奥底では愛し、愛されることへの願望を常に持っている
  • 愛によって破壊してしまうことよりも、憎しみによって破壊してしまう方がましである

早期口愛期における葛藤「愛によって破壊することなしに、いかに対象を愛するか」(Love is Destructive)

c.スキゾイドの原因論

母親に無視あるいは独占されることによって部分対象の扱いを受け、被剥奪感と劣等感によって母親に固着し、同時に自己愛的態度と内的世界の過大評価を発達させた。この母親の二側面は「拒絶対象」と「刺激対象」とし、後の精神構造論に組み込まれていった。

d.ガントリップ

「自分の愛情を恐れ、対象と関わろうとしても再び引きこもる」(in and out program)

(3)フェアバーンの技法

  • カウチの放棄(乳児の悲劇を見て見ぬふりをする親)=外傷的すぎる
  • 構造的再構成(ドラマタイゼーション)
  • 悪い対象の回帰を治療的にワークスルーする(解題)
  • 良い関係の発展

(4)フェアバーン以後の発展

  • 境界パーソナリティ構造(カーンバーグ)
  • 自我と対象との関係単位(マスターソン)
  • 母子間の愛着をめぐる葛藤と絆(ボウルヴィ)
  • 対象との関係性は間主観性の端緒(関係学派)
  • 虐待に伴う外傷性精神障害(相田信男)

3.おわりに

こうした精神分析についてさらに学びたいという人は以下をご参照ください。

4.文献