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心的障害の精神分析に基づくリビドー発達史試論

フロイトの第一世代の弟子であるアブラハムがその死の前年に書いた「心的障害の精神分析に基づくリビドー発達史試論(1924)」についての要約と解説である。フロイトの発達論をさらに細分化し、かつ対象関係的な視点を織り交ぜ、後年のクライン派や対象関係論学派の橋渡しとなった人物である。

カール・アブラハムの写真

図1 カール・アブラハムの写真

1.心的障害の精神分析に基づくリビドー発達史試論(1924)の要約

A short study of the development of the libido, viewed in the light of mental disorders.

(1)抑うつ状態とリビドーの前性器的な組織段階

メランコリーと強迫神経症はともにリビドーが対象世界から背反していく点で同じである。しかし、両者の違いがどこで生じるのかは明らかでない。

a.メランコリーと強迫神経症:リビドーのサディズム的肛門性発達期の2段階

メランコリーに強迫症候が混ざることは多く、強迫神経症者が抑うつ気分を示すことも多いことが精神分析的に明らかになっている(1911)。この2つの病状の特徴は両価性であり、愛と憎しみの間の平衡や異性愛衝動と同性愛衝動の平衡が乏しいことが挙げられる。一方、抑うつ状態の経過は間歇的であるが、強迫状態は慢性的である。しかし、強迫状態は明らかな寛解へと向かっていく。

周期的に抑うつと興奮を生じる患者は「無症状中間期」であっても、時折、抑うつと軽躁的な変化が起きる。この時に形成される性格は強迫神経症者の性格と一致する。なぜ同一の性格形成がなされたはずなのに、疾病が異なるのか。ともにサディズム肛門性段階に属する両者の状態が異なることは、同段階により細かい対立(区分)があるのではないか。

これまでの精神分析過程で強迫症状は肛門期へのリビドー固着から生じていることが分かっている。この段階は両価性が支配しており、対象に対する陽性な態度は所有物の確保であり、陰性な態度は所有の拒否である。そのため、対象の喪失は患者の無意識レベルでは糞便の排泄と同意の対象の喪失である(対象喪失の痛みに便秘や下痢が伴う、また原始民族が近親者を亡くした時に埋葬した上に排便する慣習がある。他にも対象喪失と肛門期の関連の例が本文では並んでいる)。

サディズム肛門性段階における保存的な傾向と対象を排出し絶滅しようとする破壊的な努力の共働はメランコリー状態の心理において特に明らかとなる。対象喪失の危険がある時に両群の患者には激しい動揺が起こる。対象を失うことに対して保持と支配が優勢となれば心的強迫となり、対象を滅ぼし排出しようとすればメランコリー的なうつとなる。

以上から肛門期には二つの段階が仮定される。絶滅と喪失の対象敵対的な志向が支配的な段階(前段階)と保持と支配の保存的な段階(後段階)である。後段階では対象との接触を維持することは可能であり、前段階でも症状のない時期は後段階と同様の様相となるが、急性の葛藤に陥ると対象への関係の破棄が生じるのである。

さらにメランコリー患者においては前段階よりもさらに原初的な方向へ向かっていくこともある。対象関係の解消はリビドーを急速に下方段階へ導くようである。

b.普通の悲哀ならびに異常な精神状態における対象喪失と摂取

悲哀についてフロイトは「健康人にはメランコリー症者の重い両価性葛藤は欠いている」と指摘している。しかし、健康人の対象喪失でも、愛する人物の一時的な摂取が起こる。

例1:妻が帝王切開手術の甲斐なく亡くしてしまった男性が2,3週間に渡り、メランコリー症者の拒食の様相を見せた。ある日、症状がなくなり大量の食事を取ることができた。その晩みた2つの夢は妻の解剖に立ち会う場面であり、一つは切り刻まれた妻が癒着し再生する夢、もう一つの夢は肉屋で屠殺された動物を連想させるものであった(対象喪失→食人的な性質をもつ摂取過程)

この2つの夢では、亡くなった者の肉を食らうことが死者の再生と等置されており、摂取の過程により、失われた対象が自我の中に再建されているのである。

例2:父が他界した後に一時的に父と同じ白髪になり、母親に対する父の座を獲得しようとした。

例3:母からの愛情が得られなくなると、父親へ愛情を向け、外では同性愛傾向を示す(幼年期)。父が酒浸りになると再び母へとリビドーの還帰が起こるが、母が再婚をするとまた同性愛傾向が現れる(思春期)。母が他界する際に自らの腕の中で看取ったが、その後、悲哀の様子を見せることなく、むしろ高揚し幸せであった。母の愛情を失うことなく自らの中に取り入れたからである。

健康人の摂取過程とメランコリーの摂取過程の原理が同じだとしても、メランコリー症者では対象に対するリビドーの結びつきの障害として現れる(同性愛者の精神分析過程においても摂取の過程が見られる)。

c.メランコリーにおける摂取過程:リビドーの口唇的発達相における2段階

例:婚約者への愛情が拒否の気持ちに変わり、妄想を伴ううつ病を生じた男性。この時、腸閉鎖筋を収縮させたい強迫観念にかられる(これは腸の内容物を維持することで喪失を防衛している)。また、数日後に第二の症状として通りに落ちている糞を食べる強迫的な空想が出現した(これは便の形で排出した物を再び取り入れようとしている)。

この例では、対象喪失は肛門性の過程として対象摂取は口唇性の過程として理解ができる。つまり、便としての排出は対象の殺害であり、食糞衝動は対象を食べ尽くそうとする食人衝動である。愛の対象を放棄することはリビドーが肛門サディズム段階にとどまることである。

しかし、メランコリー症者は一層原初的な口唇期へと固着する。メンランコリー症者の苦悩の源泉はこの口唇サディズムの傾向が自分に向いた時に生じており、症状はこの口唇サディズムから逃れようと試みているようである。

肛門期と同様に口唇期にも段階があるのではないか。第一の段階では自我も自我の外の対象も存在せず、乳を吸う子供と乳房という対立を生じない関係で、両価性の現象とは無縁であるが、第二段階で「吸う」から「噛む」へ転向する。ヴァン・オピュイセンは一定の神経症的現象は歯が生じる年齢への退行であり、「噛む」という行動はサディズム的衝動の始原的形態と述べている。

「噛む」ことで対象を体内化するようになるわけだが、同時に「噛む」ことで対象を破壊する危険が生じるようになる。こうして両価性葛藤が生じるようになる。

d.メランコリーの心理的成立に関する寄与

メランコリー症者には医師に対する懐疑的な態度やすがりつくような態度に見られるように、自己過大評価と自己過小評価の対立を内包する両価的な傾向がある。メランコリー性抑うつを引き起こす要因は、口唇期段階へのリビドーの固着である(躁鬱病の傾向そのものには遺伝的な要因は認められないとしている)。

母からの授乳を弟に奪われた男子は、今まで愛情を注いでいた対象(母親)から大きな幻滅を与えられることになる。この現象はエディプス願望を克服する以前に起こる出来事であり、その後経験する様々な愛の幻滅はこの、母親との関係を反復するものとなる。

そして、このような幻滅を与えた母へ敵意を向けるようなる(他の神経症状態では父親へ向ける)。そして患者の示す妄想的な告発の中には、摂取の2つの形が認められる。

  1. 病的な自己批判は摂取した人物によってなされる
  2. 自己批判は摂取した対象への批判である(例えば、自分は無能な父親と似ていると感じている患者が繰り返す自己批判は、父親に対する母親の悪評であり、摂取した父親に対して、摂取した母親が批判をしている形であった)

メランコリー症者は母に対する復讐を要求している。そしてこの空想は常に「噛む」ことで達成されている。メランコリーの経過は、摂取された愛の対象を排出したり絶滅させようとするが(「噛む」ことで象徴)、続いて自己愛的同一視の働きから対象の再摂取が起こる。

その結果、「快感を伴う自己呵責」を生じる。時の流れと、サディスティックな要求が満たされることで愛の対象は再び外界に戻される(排出される)。

e.メランコリー性のうつ病の幼児期の範例

(メランコリー性抑うつの起源が幼児期にあることを示す症例を紹介。)

母親を得たいという子どもの願いは叶わず子どもは失望する。そして復讐を計画するが実行できず、再び希望を失う。その後の数年間(何才くらいをさす?)で子どもは対象からの愛を獲得しようと繰り返し試みる。

この途上の失敗は始原的不機嫌を忠実に繰り返す精神状態を引き起こす。これがメランコリー状態である。

f.躁病

自我理想の持つ批判的機能(自我がかつて養育する人物から受け取ったもの)がメランコリー患者では厳格に高まっている。しかし、躁病では批判機能の働きは見当たらない。この状態では、自我理想の対立がなくなったことでリビドーは対象世界(摂取した対象により形成)に貪欲に向かう。

この一つの形は「貪食癖(フンスズフト)」と名付けた口唇的熱望であり、食物にとどまらず患者の目の前に現れるものは全て「飲み込まれ」、そしてすぐに吐き出されていく。

通常の喪では喪の作業の力を借りてリビドーを死者から引き離す(この分離が成功すると性的な熱望の亢進を感じたり、しきりに計画を立てたり関心を寄せる領域が広がるなどの様子が見られる)。喪が終わることは死者をもう一度象徴的に殺すこと(および食べること)である。メランコリーに続く躁病は愛の対象の再度の体内化と再排出である。

g.躁うつ病の精神分析療法

メランコリーの治療に対して精神分析はどのような治療効果をあげることが出来るのか。アブラハムの症例では精神分析を続けることでメランコリーの前提である対象の放棄がなくなり、代わりに心的な強迫や恐怖あるいはヒステリー性転換の特徴を帯びていった。

言い換えれば、メランコリー水準からヒステリー水準へと精神神経症が引き上げられたことが精神分析の成果である。

(2)対象愛の開始と発展

フロイトは対象のない自体愛的な状態から自己を愛の対象とする自己愛期、そして対象愛へと移行していくと述べている。アブラハムの経験した症例の中で、通常のメランコリーとは異なる患者がいた。愛の対象の全てを取り込むのではなく、対象の一部を「噛み切り」「奪取」し、体内化しようとする患者である。これは自己愛から対象愛への過渡期の様相と考えられる。

また、パラノイア患者については、迫害者の一部を腸内の硬い糞便で表現されており、これは迫害者のペニスであるとされる。つまり、パラノイアでは迫害者の体の一部が患者の中に含まれていると捉えられている。

これらの過渡期の段階を含めると性的体制の諸段階と対象愛の発展段階の関連は6つに区別 できる(P89)。メランコリー患者の場合は対象愛の能力は特に不完全であり表の(2)となり、パラノイア患者では部分的体内化の状態(3)となっている。精神性的発達と器官発達は一致していると考えられる。

(3)感想・疑問点

「摂取」「排出」と後の対象関係論につながる視点が詰まった論文で興味深かった。この論文を書いた翌年に亡くなっているが、もしアブラハムがより長く存命していれば、精神分析の発展も異なったものであったかもしれない。

疑問点は、(1)メランコリーと強迫の類似性を指摘し比較するという前提について、現代の強迫神経症ではなく、より病態の重いものを示しているようだが、この強迫とはどのような状態を指しているのか?(2)アブラハムがフロイトの尊厳を損なわないように気を使う様子が随所に見られたが、どんな関係であったのだろうか?

2.心的障害の精神分析に基づくリビドー発達史試論(1924)の解説

(1)アブラハムの生い立ち

1877年にブレーメンのユダヤ人の家に生まれた。二人兄弟の弟。ギムナジウムでは語学に興味を持ち、数ヵ国語を話せていた。将来的に比較言語学を専攻することを希望していたが、家族の希望で歯学部に入学し、その後医学部に転向。1901年(24歳)にフライブルク大学医学部を卒業し、ベルリン精神病院に4年間勤務し、主に脳病理学、脳組織学の研究をおこなった。その後、チューリッヒのブルクヘルツリ精神医学教室に職を得て、ブロイラーやユングと親交を持った。1906年(23歳)に結婚した。

ユングらの影響で精神分析に興味を持つようになり、1907年(30歳)にドイツ精神医学会で統合失調症の症状論に関する精神分析的考察の発表を行い、その論文をフロイトに送った。それをきっかけとして、アブラハムが死ぬまでの18年間、フロイトと親交を持ち、文通をつづけた。他の弟子たちはフロイトと感情的な確執が生じることが多かったが、アブラハムとフロイトはそういったことはほとんどなく、適度な距離を保っていた。

おそらく、アブラハムの温厚で成熟した性格と、ベルリン-ウイーンとの遠い物理的距離がそうさせていたのだろう。同年12月にはチューリッヒでは外国人の出世が見込まれないということで、ベルリンに戻り、開業した。1910年(33歳)に国際精神分析学会が創設され、ユングがその初代会長に就いた。アブラハムはベルリン支部として、ベルリン精神分析学会を設立し、死ぬまで会長の座についていた。

アブラハムは多くの精神分析家候補生に訓練分析を行った。ジェームズ・グラバー、エドワード・グラバー、ドイチェ、ラド、ライク、ホーナイ、ジンメル、ストレイチー、そしてメラニー・クラインである。そして、1925年春に誤って吸引した異物によって敗血症性気管支炎をおこし、やがて肺膿痬を形成し、同年12月25日のクリスマスに死去した。48歳であった。

(2)アブラハムの精神分析的発達論

表1 アブラハムの発達理論

リビドーの編成段階対象愛の発達段階
早期の口唇段階(吸引)自体愛
後期の口唇段階(食人的)自己愛
早期の肛門サディズム期体内化を伴う部分愛
後期の肛門サディズム期部分的対象愛
早期の性器期(男根期)性器を除外した対象愛
最終の性器的段階対象愛

フロイトの性心理発達の段階をさらに細分化し、また対象関係の発達と関連づけた。

(3)アブラハムの躁うつ病と強迫についての理論

そもそもフロイトは躁うつ病について統合失調症(当時の精神分裂病)と同じように自己愛神経症に区分けしていた。自己愛神経症では転移が形成されないので、精神分析をすることができないとしていた。

躁うつ病の無症状中間期における微妙な感情の動揺と強迫心性に着目した。

強迫は、対象の保持と支配が優勢となる肛門期後期への退行。うつ病のような全面的な体内化はなく、対象は部分的に外界に置かれる。

うつ病は、愛する対象を失ったことに対する補填として、対象を摂取し、体内化する。これが、口唇サディズムへの退行。体内化した対象に対してのアンビバレンスがあるため、排出し、絶滅させようとする。体内化された対象は身体の貴重な内容物、すなわち糞便と同等視される。これが肛門サディズム。自己愛的な同一視として、再摂取、再取り入れが行われる。これが食糞を意味する。自己愛と自己像の過大評価と過小評価との混交がある。

エディプス期における母親の愛情に対して幻滅を抱いたあと、同様に父親の愛情に対しても幻滅を抱く。それが見捨てられ抑うつとなり、最初の発症となる(始原的不機嫌)。始原的不機嫌状況の反復がうつ病の契機となるが、無症状中間期においても新たな見捨てられを常に恐れている。

躁病に関してもうつ病と基本的には同等のメカニズムが想定されるが、主に口唇的熱望が強く作用し、外界のあらゆるものを取り入れ、すぐに排出される。食人的な饗宴であり、始原的不機嫌の否認である。

(4)クライン理論への橋渡し

クラインへの訓練分析は15ヶ月という短期間でアブラハムの死を区切りに終了した。

クラインが子どもの精神分析をすることを保護した。

対象喪失と躁うつ病の精神分析的研究がクラインの抑うつポジションに、口愛サディズムを通した対象との繋がりの理論が対象関係論などに影響を与えた。また、最早期の発達、サディズムの理論、妄想分裂ポジション、部分対象関係、躁的防衛などのアイデアはアブラハムからの影響を受けている。

ちなみに、本論文におけるアブラハムの観察は、クラインの臨床素材からのものである可能性があるとのこと。

3.おわりに

このような精神分析についてさらに学びたいという方は以下をご覧ください。

4.文献